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近代落語の祖とも言われ、今もなお稀代の名人と人口に膾炙する三遊亭円朝が演ずる『青菜』は日によ
って三つ葉、小松菜、法蓮草と見事に食べわけたという話はあまりにも有名…だが、決してよそへ行って喋
るんじゃないよ。
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さて、このコラムは、毎月一つの噺をテーマに毎週連載をいたします。あらかじめのお断りですが、これは
話芸の解釈又は鑑賞ガイド的な役割は何ひとつ含んでおりません。ま、どうしても目的を掲げろってンなら、
四谷伝統芸能振興会(以下、四伝会)の公告及び会員増加――なんてあたりで。では、今回は『青菜』。
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そもそも、この噺に出る青菜は夏の暑い時に出回る菜っ葉であればいいので、限定する必要はまるでな
い。しかし、いかにも品のよさそうな大店の御隠居風の人から「円生さんは(文楽でも可)小松菜で演ってい
たが…(間)…お前さんのはまだ法蓮草だね」なんて言われたら、真打クラスでも悩んでくれるだろうね。うう
む…言ってみたいぞ、これは。ただ、江戸時代は鉄漿〔おはぐろ〕をした女性は法蓮草を食べないという習
俗があったそうで(鉄漿した歯で法蓮草を食べると血を吐いて死んじゃうそうだ)、消去法をとれば法蓮草は
ペケですな。じゃあ小松菜はというと、当時流行った摺り物の〈見立番付〉という、今で言えば、なんでもラン
キングてえやつの中に、おかず番付もありまして、前頭七枚目に「小松菜ひたしもの」とあります。
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さて、週一本のこのコラム、次回は、かねてより秘かに囁かれているこの植木屋の元幕府御庭番疑惑に
ついて検証していくかどうかはおいといて、このようなスタイルで粛々とやらせていただきます。…戯作者は
しょっちゅう煙草ばかり吸っていて、何も仕事をしてねえなんて言われますけど、そうやって煙草を吸っており
ましてもね、別にぼんやりしてるわけじゃねえんで…あの行はこっちへ移したほうがいいんじゃねえかとか、
あの文は少し短くつめたほうがいいんじゃねぇかとか考えておりますんで…へへっ決して言い訳じゃあござい
やせん。おや、こいつはいけねぇ! いつの間にかマス目が義経になりやした。
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天才バカボンのパパの職業が植木屋であるという事実は、アジア諸国は言うに及ばず、世界の共通認識
と言っても過言ではあるまい。しかしながら、バカボンのママと峰不二子がまったく同じ声だということを知る
者は少ない。声に出して呼びかけてみるとすぐわかる。"バカボン""ルパン"…同じである。で、『青菜』だ。
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「まぁ、植木屋だけは東京の噺家さんには合いまへんな。なんちゅうてもこっちが本場でっさかい」。そんな
米朝一門の冷笑が私には聞こえる!
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江戸時代に三都の名物という歌が詠まれた。その大坂の言うことにゃ、「橋に舟、お城、芝居に米相場、
問屋揚屋に石屋、植木屋」。さぁ出てきたぞ、植木屋! しかも大トリではないか! 大坂城ですら浅い上が
りで我慢しているというのにだ! 本当に植木屋といえば大坂なのか! 落語事典に聞いちゃうぞ! 『植
木屋娘』、上方噺だ! 『植木屋曽我』、ああ上方噺だ! 『植木のお化け』、音曲噺か、上方っぽいぞ。な
ら、植木屋の気質を見事に演じた志ん朝の『雛鍔』で一気にケリをつけようじゃないか! 頼むぞ矢来町!
え? 上方じゃ『お太刀の鍔』てぇのか…ああ、くやしい! このままじゃ、先祖の助六に申しわけがねえ
や! (そして三時間が経過…)
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1657年、明暦の大火により江戸市中の六割は灰となり、大名屋敷等の復興にともない、空前の植木屋バ
ブルが起こった。そのため大坂の植木屋達は江戸に下り、芝、四谷、下谷などに移り住んだという記録が残
されている。
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次に"人生僅か50年"そして"三代続いてこそ本当の江戸っ子てぇもんよ"
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このことから導かれる式は、50(年)x3(代)=150
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1657年(明暦の大火)+150(江戸っ子認定年数)=1807年 従って、徳川家斉の時代の文化4年には植
木屋は完全に江戸の名物であり、植木屋が主人公である『青菜』は江戸の噺と言わざるを得まい。
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どうだ! 米朝一門! どうだと言われても困るだろうが、こっちも二枚のコラムでクタクタだ! 英気を養
うには酒に限る! するてぇと来週は「飲めぬなら飲んでみせよう柳蔭」の巻だ! 今回はやけに「!」が多
いぞ! ところで植木屋お庭番説はどこ行った!
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ある夏の午後、人間国宝柳家小さんにクイズを出した。
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「師匠! みりん、みりんって十回言ってください」
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「それがなんだってんだッ…(憮然と)味醂、味醂、味醂、味醂、味醂、味醂…」
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「師匠! 鼻の長い動物は?」
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「柳蔭だッ!」
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頭の中は常に落語一色であったのだろう、噺家気質とはこういうものである。
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「どうして、てめェは嘘ばっかりつきやがんだッ!」と怒られそうな第三回『青菜』だッ!
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柳蔭――言わずと知れた『青菜』の植木屋がご馳走になる酒である。「直し味醂」「本直し」「直し」等と呼ば
れ、「柳蔭」は上方での名称。冷やして飲む。明暦の大火によって江戸の町の気温が急激に上昇。冷用酒
バブルが生まれ柳蔭造りの職人達の全ては江戸へ…さすがに無理だな、これは。「京坂夏月夏銘酒柳蔭」
という引用が残っており、こればかりは上方のものである。ちぇっ。
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閑話休題(全文が閑話だ!)。
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少し前の話だが、二人の二ツ目がいた。そのうち真打になれるのは一人。しかも香盤も技量もまったく等
しく、協会幹部は頭を抱えた。その時一人の幹部が(あえて名を伏す)その二ツ目たちを一人ずつ別室に呼
び、その数分後に真打が決定した。「一体、どんな理由で?」と気色ばむ声に、彼は小さな瓶を取り出しこう
言ったという。「こいつを飲ませたら、一人は柳蔭てぇことを知ってましたんでね。へっへっへ、まったくあばら
かべっそんなことで…」。レアリスムに重きを置く美学によって生まれた真打に異を唱える者は一人もいなか
ったという。
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この話をどう聞く! これで安藤鶴夫とでも署名してみろ、本当の話になっちゃうぞ!
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さあ、二ツ目の諸君、書を捨て柳蔭を飲もう!
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とはいえ、柳蔭入手に一抹の不安を持つ私は、四伝会食材担当理事"MP"に恐る恐る相談してみた。(連
絡より十分経過)あったぞ柳蔭! しかも念の入ったことに鯉の洗いとセットで日曜に届けてくれるとのこと、
すばらしい! 実写版ドラえもんのような人だ! こんどの日曜の四伝会イベントは、三遊亭金翔第一回勉
強会(詳細は下記、寄席情報をご覧下さい。また三遊亭金翔公式サイトはhttp://kingshow.jp ご贔屓に)。鰯の塩焼きと青菜
のおひたしを加え、打上げといこうじゃないか。金翔、君は幸せ者だ。『青菜』の金翔と呼ばれる日も近い
ぞ!(うれしかねぇか)
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三味タレを集めて囃し玉川の 美穂子な出来に桃も綻ぶ
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[訳] 音曲と語りが一体となり浪曲というものは完成される。お客の評判も上々で、まったく主催した「桃太郎」の店主も笑顔にな
ることよなあ。
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この週末の四伝会は土日連続興行でございます。まず、土曜日は居酒屋「桃太郎」さんで玉川美穂子浪
曲ナイト。これがまた大変結構でございまして、冒頭の歌は歌人でもあるわたくしが感銘のあまり、思わず知
らず詠んでしまったものでございます。
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続いて、日曜は「篝火」で金翔勉強会。前回コラムのお約束通り打上げは"青菜フルコース"。しかしながら
演目は『ぞろぞろ』と『紙入れ』。一応その出来もコメントしたほうがいいのか? じゃあとりあえず…。
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はい、金翔君、お疲れさまでした。…えー、さて…、なんですな、ともかく彼は親孝行だそうです。みなさん、
これからも応援してあげてくださいね。以上! さあ、打上げだ、打上げ! 柳蔭で乾杯!
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甘い! 甘過ぎるといってもいい、もちろん上品な甘さではあるのだが。甘味の強いにごり酒という感じで、
度数も20度以上ある。生〔き〕で飲むのはちょいとつらいかな。私見であるが(って、全部私見だッ)、『青菜』
に出てくる柳蔭は予め水で割ったものを瓶に入れ井戸で冷やしていたと思われる。井戸を掘る申請が理事
会で却下されたため、冷水で割る。うむ、これだ、これこれ。植木屋が飲んだのはこれだな、ようやく辿り着
いた! 思えば長い道のりであったことよなあ…千早ふるぅ柳の蔭に涙ありぃ…歌はもういいか。
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現在とは異なり、甘味というものがまだ贅沢だった時代。青葉燃ゆる夏の午後、庭仕事を終えた植木屋
は、まちがいなくこう言っただろう。
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「いやー、こいつはほんのり甘くって、誠に結構でござんすねぇ」と。
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さて、今回は少し短めだが、だからと言って早く打ち上げに戻って腰を入れて飲みたいものだなどという邪
な考えは微塵もないぞ!
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というわけで、次回7月は、夏の夜の江戸絵巻『たがや』の検証だ! 「玉屋」「鍵屋」の知られざる秘密を
白日のもとにしようではないか。そして、たがやは本当に刀を持ったこともなかったのか? その正体を浮き
彫りにするというご趣向だ! 今回以上に熱く語るぞ。その思いを歌にしてみれば…って、しつこいな(ところ
で、俺は本当に歌人なのか?)
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了
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橋の上たまやたまやの声ばかり なぜにかぎやと言わぬ情なし
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磯野家ではその昔、二匹の猫が飼われていたという。一匹の名前がタマ、そしてもう一匹の名はカギ。黒
猫であることが国民的アニメのイメージにそぐわぬと高度成長の時代、カギは磯野家から石もて追われる身
となった。機を見るに敏なる磯野、フグ田家の隆盛は騎虎の勢い現在に至るが、両家の未来永永憂き目を
見ない安泰の礎にはいったいどれだけの悲しみが埋もれているのだろう…。
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『たがや』の枕に必ず使われるこの戯れ歌にこれだけの深い意味が隠されていることを知る者は少ない。
芸は一生勉強ということを痛切に感じる今日この頃である――(了) って、だめだろ終わっちゃ! でもねぇ
『たがや』は真面目にやると説明多くなっちゃうんだよねぇ。それいちいちやってると「うんちくコラム」になっち
ゃうし、読んでてもつまんねぇだろうしなぁ…そこで、わたくし考えました。四伝会ホームページ書き下ろし―
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講談 吉宗評判記「花火ン坊将軍」!
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享保十八年皐月も終わり朝まだき、八代将軍吉宗はある思案にくれておりました。それといいますのも、
昨年国を襲った飢饉と疫病。多くの民を失った吉宗はその人々の供養と疫病退散を祈願し、隅田川におい
て水神祭を行うことと相成ったのでございますが…。
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「こたびの祭りは今後の天下泰平の安心〔あんじん〕を祈るのみならず、民に力を与えるものでなくてはなら
ぬ。何か良き工夫はないものか…。ぬ組の頭のとこへ顔を出してみるか」天下の風来坊・徳田甚之助といで
たち改めまして、御城下へと参ります。
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「頭!俺は水神祭に何か趣向をと考えているのだが」
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「何ですって!するってえと甚さんは万治二年に江戸で創業した"鍵屋"の六代目弥兵衛さんに両国橋で花
火を打ち上げさせようと、こうおっしゃるんですかい!」
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「さすが、ぬ組の頭!武士も町人も分け隔てなく楽しめ、ともすれば涼を求める屋形船や物売りの舟、また
まわりの茶屋も活気づき、両国界隈は人々で賑うということだな」
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「甚さん!そうなりゃ川開きから三月〔みつき〕の間、毎晩のように花火が打ち上げられ、広小路あたりは屋
台や涼み処ができて、一晩に千両が落とされるような気がしてならねえ」
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「頭!礼を言うぞ。天下の為とは言え、よくぞこの不自然な会話につきあってくれた」
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かくして、この両国の花火は江戸の名物となり、それより七十余年の後、文化五年鍵屋八代目の時代、新
八という弟子が両国吉川町に「玉屋市郎兵衛」を名乗り暖簾分けを許されます。以来、江戸で名のある豪商
たちが競って鍵屋、玉屋に花火を打ち上げさせることとなり、これから二百六十余大名旗本八万騎、心肝寒
からしめる事態の出来となる、夏の両国橋『たがや』の幕が開くという、本講談一番面白いところでございま
すが、7月8日(土)、9日(日)、上楽、快治二夜連続勉強会の準備のため、これにて読み終わりとさせていた
だきます。
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玉屋と四伝会は縁が深い。当代の店主とも昵懇である。先代たちの思い出や花火の魅力など、『たがや』
の検証に一言、花を添えていただくのも当然の流れであろう。では、よろしくお願いします。
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ただいま御紹介にあずかりました「玉屋」でございます。創業以来、大切に受け継いできた伝統を守りより
高めていく、それが玉屋の姿勢です。常にお客様を第一に考え、素材も徹底的に吟味し、国産の最高級品
を使用しています。夏の夜の楽しみは何と言っても玉屋の「アイスどら焼」。「いちご豆大福」もよろしく。(「玉
屋」ホームページはこちら http://oosumi-tamaya.com/)
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――伊勢丹でも買えると聞いた時になぜ気がつかなかったんだろう…。
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甘話休題
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伏見稲荷大社を中心に全国に広まった稲荷神社。御利益は農業、商業、家内安全と何でもござれ。四伝
会本部がある荒木町にも金丸稲荷という、縁日を開こうにも綿あめの機械一つ置けばそれで一杯という神
社があり、旅先に持っていっても邪魔にならないともっぱらの評判である。
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鍵屋も創業より稲荷信仰が深く、稲荷の使者である狐が鍵と玉(宝珠)をくわえていたことが屋号の由来と
なり、それゆえ、暖簾分け一号店の屋号が玉屋となったわけである。従って、仮に鍵屋が次から次へと暖簾
分けを許していれば、江戸の町には「稲荷屋」「狐屋」「砂漠の狐」「21世紀FOX」等の屋号があふれていた
ことだろう。(ちなみに荒木町の携帯神社金丸稲荷の狐がくわえているのは玉と巻物であります。)さて、先
週詰め込むだけ詰め込んだため、今回はさらっと終わることとしよう。では、たがやが歩いた当時の両国橋
を俗曲風に御紹介してお別れしましょう。(それを書く方が大変じゃないか…!)
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両国風景
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下見れば及ばぬことと知りながら、船の中から笛と鉦、大小鼓の馬鹿囃子、水に影差す振袖の、
都々逸、長唄、豊後節、浄瑠璃、講釈、大道芸、小屋のまわりにスイカ売り、茶店のやかんはぴか
ぴかと、五十嵐兵庫は伽羅油、職人、浪人、医者、隠居、女中に坊主にお店者、浅葱の裏からスリ
が来て、おまけに夜鷹が客を引く、散華散華六根清浄、散華散華六根清浄、上見て渡れ、両国の橋
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(だめだよな、こんなとこに馬に乗って来ちゃ)
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たがやは一介の職人でありながら四人の侍を切り捨てた。誠におそるべき腕前である。まわりの見物たち
の賞賛はいつまでも止むことはなかった。それをかき消すかのように鳴り渡る寛永寺の時の鐘――この騒
ぎを遠巻きに見ていた蜀山人こと大田南畝は、その鐘の音〔ね〕を聞いてこう呟いたという。
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「誰がために鐘がなる…」
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生涯一度たりとも嘘をつかぬ者だけ、私に石を投げるがいい! というわけで『たがや』第三回だ!
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江戸時代になり、幕府直属の幕臣のうち身分が上位で禄の高い者を旗本、低い者を御家人と呼ぶように
なった。『たがや』に出てくる武士は旗本だが、それなりの地位にいるはずの部下が腰に差している大小(た
だの供侍、いわゆる若党は大小二刀は差せない)が錆だらけでは二百石クラスの最低ランクの旗本と思わ
れる。しかしながら、たがやは一応、侍と呼ばれる武士四人と戦ったのだ。
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まず一人目。無刀であるたがやは上段から切りかかってきたと思われる相手の太刀に対し左半身に体移
動し腰を落として腕を押さえ、相手が体を崩したところに噛みついた。新陰流秘奥・真剣白刃どりの変形で
ある。落とした刀を奪ったたがやは相手を一刀のもとに倒す。これだけでも並みの手練ではあるまい。間髪
を容れず二人目の太刀がたがやを襲う。決して大きく躱さぬ肋一寸の見切り、左足退き重心を沈めての籠
手斬り。手負いのまま挑みくる相手を右に躱しての抜き胴。太平の世において信じ難い剣技である。こんな
相手に、いくら刀を欄干に打ち込んでしまったからといって背中を見せるとは自殺行為である。あっさり三人
目も刀の錆。さて、最後に残ったのは殿様で今度は槍が相手だ。互角であれば槍有利とは武芸者ならば知
らぬ者はない。剛に対して柔の心得、強く弾けば反転する石突きの速度が増し、相手有利となる。たがやは
それを熟知するかのように相手の本突を誘い、先を取り半身かわしざまに千段巻の部分から切り落とす。
相手が槍の柄を投げ捨て、刀の柄へ手をかけたその刹那、「たがやー」の声が上がったのである。殿様は
自分の首が切られたことに気づくことなく絶命した。たがやの働きはまさに鬼神の如くであり、その剣境は無
空の至極と言えよう。
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さて、両国橋におけるたがやの戦いぶりを見るにつけ、一介の職人という事実に私は疑問を感じざるを得
ない。しかしながら、その後のたがやの消息を伝える者もなく、たがやの姿は歴史から消えた…。
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これほどの剣客が職人として市井にいなければならなかったその理由とは…。
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ま、まさか! その時私の頭にある思いが電光のように走った! 以下次
号!
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…そして走り去った!(了)
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怒るよな、これじゃ。いくらなんでも。
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元禄十五年七月二十八日、京都での、いわゆる丸山会議において吉良邸討ち入りが決定し、四十七士
の一人、大高源五忠雄〔おおたか げんご ただたけ〕はその後江戸へ下り、同志達も目立たぬよう江戸に集
結を始める。源五の江戸での役割は吉良邸の探索である。その場所は、そう!両国橋から目と鼻の先の
松坂町。ふつうに赤穂の浪人がウロウロできる場所ではない、当然変装する必要があったろう。
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夏の夜の両国橋。一介の職人とは思えぬ剣技、そして身分を隠さねばならなかった身の上…。夏はたが
や、そして冬は煤竹売りに身をやつさなければならなかったとは…! 賢明な読者諸兄にはもうおわかりの
ことでしょう。あのたがやは、そう、あのたがやこそは…いや、もう何も言う必要もありますまい。討ち入りは
裏門組にて吉良邸一番乗り。薙刀のような長太刀を振るってその働き鬼神の如し。泉岳寺引き揚げの際、
修行僧の乞いに応じて俳人でもあった彼は「山をさく刀もおれて松の雪」の一句を記した。さらにさらに、賢
明な読者諸兄にはもうおわかりのことでしょう。おそらく皆さんはこう言いたいはずだ。
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「ンな、お前、元禄に花火じゃ、時代が違う。そんな事ァあるわけねえや!」
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ワタクシの答えは決まっている。
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「あるわけないのがあるから珍しいンで」
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「冗談言っちゃいけねえ!」
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さて、今回は冗談落ちで無事に終わりました! 気分をすっかり切り替えて8月に突入だ。8月6日(日)は
コント青年団とジャズシンガー宝地美千子による、大虚舟先生の"これが本当のコラボってもんよ"的企画
『Music & Laughing』の御目見えだ!(会場 リビングバー・ウィル http://www.h5.dion.ne.jp/~wille/) 御来
場心よりお待ち申しております。決して悪いようにはいたしません…いいようにしちまいますから…。
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次回は『酢豆腐』もしくは『ちりとてちん』の検証だ! この温気に釜の中に一日置いた豆腐を喰う時がつ
いにやってきた! なんだって? 第二回金翔勉強会のネタ出しが『ちりとてちん』!? さっそく見つけたな、こ
の食いしん坊が! よぉし、今回はかくやの香こ〔こうこ〕と酢豆腐で打ち上げてえわけだ。一口だけなんて、
しみったれた事ァ言わねぇや。お客さん、お楽しみに!(客減らしてどうする?)
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「若旦那! いってぇどういうわけで酢豆腐は一口に限るんで?」
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「ええっ…まだ続くんでやすかぁ。そりゃ…やっぱり…ピリピリッとくるところが食べ過ぎると体に障りやすから
…」
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「酢豆腐はピリピリするもんですか?」
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「そりゃ、あなた! 電気酢豆腐てぇくらいで…」
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「冗談言っちゃいけねぇ」
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お馴染み、酢豆腐の中ほどでございます。
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そんな長ぇ噺じゃねぇだろ! 好調"語隠"の始まり!
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"馬には乗ってみよ、嫁にも乗ってみよ"という諺の通り、物事はすべからく経験すべきである。前回の予告
通りであれば、ワタクシはすでに酢豆腐を食べているわけだが、世の中というものは必ず表と裏がある。歳
末の福引で初日にグアム旅行が出てしまったことを想像してみるがいい。苦りきった商店会長、いたたまれ
ない役員達。補助券を一生懸命集めてやってきた子供達の目は荷馬車で売られていく子馬の如し。燕雀安
んぞ鴻鵠の志を知らんや。例え百万の読者を失おうとも我の心に揺らぎなし。酢豆腐の味を最終回にもち
ゆる事は小を殺し大を活かすべく活人剣ではあるまいか!(そんな大層な話じゃねえって)
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というわけで、読者からのお便りです。
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Q「虚舟先生に質問です。以前から不思議に思ってましたが『酢豆腐』と『ちりとてちん』は同じような噺なの
に、なぜ題名が違うのですか?」(東京都 I 大学職員)
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A「Iさんは大学にお勤めというお仕事柄、常に鋭い質問をされますね。実はこの問題は簡単なようでいて実
に奥深い事実が隠されているのです。しかしながら、このコラムは落語を学術的に研究するものではありま
せんから、Iさんに分かりやすく説明させていただきますと、『酢豆腐』で腐敗する豆腐は絹ごしで、『ちりとて
ちん』は木綿ごしです。この事実については噺家の皆さんでさえ意外に思うことでしょう。しかし、これには理
由があるのです。そもそも豆腐というものは今から二千年以上も昔の中国で誕生し、わが国には鎌倉時
代、禅僧によってもたらされ、奈良を中心に作られていました。その後、仏教が一般に広まるとともに水質の
良い京の都でも作られるようになったのです。(『千早ふる』にでてくる竜田川の実家も豆腐屋ですが、四股
名から考えても奈良か京都の出身でしょう。)『酢豆腐』は江戸生まれの噺ですが、三代目小さんの弟子、小
はんが手を入れたものが大阪に定着して『ちりとてちん』になったのです。豆腐文化が進むと人々は柔らか
なものを求めるようになり、豆腐料理が発展するにつれ、江戸では絹ごしが好んで買われるようになりまし
た。ですから江戸生まれの『酢豆腐』は絹ごしで、大阪で定着した『ちりとてちん』は木綿ごしという定説にな
るのです。このように、題名の違いだけで食文化の違いをも証明してしまうのです。落語というのは本当に奥
が深いですね。
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(^_^)」
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(他でしゃべんじゃねぇぞ!)
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映画監督・山田洋次の名を知らぬ日本人はおるまい。山田監督は落語にも造詣が深く、自ら落語台本も
書き作品集まで出している。数ある落語の中でも『酢豆腐』がお気に入りと見えてこの話を下敷きに映画を
作ったくらいである。内容は、あの知ったかぶりの若旦那がヨーロッパに遊学し、黄色人種と馬鹿にされな
がらも持ち前のキャラクターで周りを翻弄し、最後には貴族の娘を射止めるという話だ。機会があれば見る
ことをお勧めする。作品名は
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『幸福の黄色い半可通』
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先に謝っとこうっと。山田監督、ごめん! というわけで、第二回『酢豆腐』。
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『酢豆腐』の中で唯一まともな食べ物が「かくや」である。古漬けを細かく刻んで塩出しし、醤油をかけたこの
「かくや」の由来には諸説ある。その一、徳川家康の料理人であった岩下覚弥が作った。その二、沢庵和尚
の弟子・覚也が作った。その三、高野山・隔夜堂(ひと晩ずつ神社仏閣を泊まり歩いて修行するものの宿泊
施設)の老僧のために作られた。つまり、覚弥、覚也、隔夜と、どの漢字を使うかによって書き手がどの由
来を取ったかが分かるという誠に便利なことになっている。ではワタクシはなぜ「かくや」なのかと言えば、金
がなく何も食えない時に仕方なしに食べる、つまり食うかくやずの時に作ったから「かくや」という自説をもっ
ている。ちなみに明治41年初代小せんの速記を引いてみますか。(アタシが文献を引くなんて大層珍かなる
もので。なぁに当時の速記者に対しての敬意でござりんす)
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〈オ、斯[か]うしねえな、食物なんてえものはの、銭を出したからといって旨へ物があると限っちゃ居ねえや。
斯うするんだ。糠味噌桶へ手を突ッ込むとな、思い掛けねえ古漬があるもんだ。其奴[そいつ]を出してようく
切れる薄刃で、細かく、カクヤに打った中へ、生姜でも刻み込んで、直ぐは臭味があって往けねえから、暫く
水へ泳がして置いて、スイノで揚げてよ、濡れた布巾でキューッと絞ったやつへ、満更でもねえ、醤油を掛け
てやつて見ねえ、一寸した酒の肴にならァな〉(講談社「明治大正落語集大成」第六巻 今村次郎速記)
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うーむ、「薄刃でカクヤに打つ」、なんぞはいいですなぁ(忌み言葉を避けてるわけです)。ま、速記の方も
私の説をとってくれてるようですから、これでよしとしましょう。え? 何? お前の与太なんざ聞きたくねえ?
どれか一つに決めろって? そいつは無用だ。こっちで決めなくたって「かくや」の事だ、仕上げにきっちり
絞り込んでおります。
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「仕事の腕ァ悪かねェよ」「おっちょこちょいだなァ、野郎は」「このあたりの若ェもんの中じゃいくらか見られる
ツラじゃねぇかい」「こないだ、五十銭がどうとか言ってましたけど」。以前の評判は決して悪いものではなか
った。女殺し、後家殺し、色魔と言われたのは冗談に過ぎなかったのだろうか…。小間物屋のみィ坊、仕立
屋のお銀ちゃんに岡惚れしていた純情な青年は、明治から大正へと移り変わるデモクラシーが作り上げてし
まった時代の徒花としての変貌を遂げる……みなさん、今晩は。「落語迷宮の扉」の時間です。
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建具屋(正式の発音はta-te-go-ya)の半公、通称建半。彼は若旦那とならび『酢豆腐』における隠れた主
人公と言える。それだけではない、彼の存在は実は落語界にはなくてはならぬものであるのだ。
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建具屋とは戸、障子、襖などを作る職人である。五十銭という金を騙し取られた彼は「この仕返しは必ずす
るからな」という言葉を残して去っていった。よほど悔しかったのであろう。職人としての腕は悪くない、彼は
斎戒沐浴の後、寝食を忘れ仕事に打ち込んだ。まとまった金を手に入れた彼は自分に投資を始めた。身な
りを整え、朝湯も欠かさず、三味線、小唄と稽古事にも力を入れた。もともと他の若い者達の中でもいくらか
顔立ちがまともだったところに磨きがかかり、芸人と付き合うことでカドが取れ、気のきいた言葉も自然と口
に出るようになる。何度も言うようだが、職人としての腕は悪くない。小金もできた。みィ坊、お銀ちゃんが本
当に建半の噂をするようになったのは、彼が五十銭を取られてから半年もたった頃であったろうか。
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その当時のいわゆる"好いたらしい男"へと変身を遂げた建半の復讐は思いがけない形で達せられる。か
つて自分から五十銭を騙し取った町内の若い者達を出し抜き、評判の美人であった横丁の小唄の師匠をし
っぽりしんねこで口説き落とし、見事手中におさめる。しかしながら物事には程というものがある。なまじ女
性に対して自信をつけてしまった彼は次から次へと色悪の所業を繰り返す。そしてこともあろうに御法度で
ある主ある花に手をつけてしまう。
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豆腐から始まったこの悲しい物語は豆腐によって完結される。豆腐屋の女房との間男騒動は酢豆腐をこ
しらえた与太郎の失言によって露見することになる。めぐる因果の糸車。その後の彼の消息を知る者は少
ない。江戸の香りが消えていく東京に未練はなかったのかもしれない。悩み続けた日々がまるで嘘のように
穏やかな暮らしをしていることを祈ろう…豆腐で汽笛を聞きながら…。
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そもそも篝火の席数は18なんである。そこへどうして29人の人間が入ることができるのか? もちろんそ
こにいる人はただ何となく集まってきたわけではない。当然そこに芸人二人が加わる。もちろんスタッフもい
る。つまり、実質34、5名の人間がその空間に蠢いている。エアコンの利きが悪いなどという次元ではな
い。酸素の絶対量が足りないのだ。それが杞憂でないことは鍋の湯を沸かすのに一時間以上かかったとい
う事実によって証明された。恐るべし、金翔勉強会! 立っているスペースすらないというので座っている客
に肩車してもらっている奴もいた(上海雑技団か!)。主催者側としては嬉しい悲鳴ということになるのだろう
が、このままだとアウシュビッツ寄席だのガス室亭だのと言われかねない。
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その混雑ぶりをいくらかでも緩和するために今回の打ち上げには酢豆腐を出してみた。これはワタクシが
寝る間を惜しんで作り上げた一品である。(「え〜、本物じゃないんですかぁ」と不満気だったみぃ坊、君はお
席亭の店を営業停止にしたいのかね?)そして、御来場のお客様に味わっていただいた!
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ところで、若旦那は半可通という扱いに甘んじているが果たしてそうだろうか? ネーミングのセンスだけ
をとっても、あふれる才気を感じはしないだろうか? そうでなければ彼が咄嗟に思いついた「酢豆腐」という
言葉が平成の御世まで残っている事実に対して説明がつくまい。身代を鼻に掛けず、世情に通じ、町内の
若い者達とも分け隔てなくつきあう。そして何よりも恐るべき胆力である。手弱女ぶりに騙されてはいけな
い。目にするのも初めてのものを口に入れる勇気を私は持ち合わせてはいない。もし彼が戦国時代に生ま
れていたとしたら…。
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さて、問題の酢豆腐の味だ。正直言って世の中には言葉で表現できない味というものが存在することを、
今回私は学んだ。それでも無理を承知で表すとしたら、絹ごし豆腐に無糖のヨーグルトをあしらい、隠し味に
各種のスパイスが入っているような、いないような…感じとでも言えば、わりに近い味が想像していただける
と思う。ま、そこを曲げて想像してみてくださいよ。
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今回のコラムは一応これで終わるのだが、打上げが終了した後のテーブルの上を見て私は愕然としてそ
の場に立ち竦んだ。各参加者に用意した酢豆腐の器すべてに二口目をつけた痕跡がなかったのである。つ
まり、はからずも若旦那の「酢豆腐は一口に限る」という言葉が予言となって現代に出現したのである。この
偉大なる先見を持つ若旦那がもし当時の大本営にいたとしたら、日本は………ああ、あれから61年目の
夏が終わろうとしている。
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次回は目黒の秋刀魚。黙祷!
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今週土曜に行われる桂快治勉強会の場所が、なぜ突然「篝火」に変更になったのかという疑問を持つ
人々は少なくない。それを私の口から説明するのは簡単だが、果たしてそれが正しい選択なのかどうか、今
もって判断がつきかねている。しかし、このまま口を閉ざしていれば、まるで私があたかも9月2日に快治が
東京に居ないため一週間ずれ、9月9日になったにも関わらず、最初に決めた9月2日だと思い込み、店と
して貸切の予約を受けてしまうという、ダブルブッキングの愚行を犯してしまったと思われるのは必定であろ
う。
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君君たれば、臣臣たりと言われるが、真の武士道というものは君君たらずとも、臣臣たるというのが、本来
の道理というもので…つまり私がこの場において言わんとする事は…
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素直に謝れ! というわけで『語隠』!
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そもそも、この噺はもともと明治時代に名人と言われた禽語楼小さんが得意にしていたという。この人は侍
出身という、とても珍しい経歴の持ち主で、特に殿様ものは絶品であったと伝えられている。(そりゃそうだよ
な。部下だったわけだもん)
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さあ、秋だてんで『目黒のさんま』を持ってきてはみたものの、この噺はワタクシ的には書きづらいものがあ
る。もともと地噺であるとこにもってきて、あまりにも有名な噺なもんで遊べないんですな。知ってますか?
目黒区の教育委員会なんかは"目黒のさんまの碑"まで建てちゃってるんですぜ。そんなもん石に刻んで後
世に伝えてどうする! 負けるな台東区教育委員会! "明烏の碑"を作ろう! ま、そんなわけで実証を旨
とする語隠、今月のコラムは、私自ら現地へ飛びます。ああ、飛ぶったら飛ぶさ! 題して「語隠 遠くへ行
きたい」。不惑を過ぎ、生まれて初めて降りる目黒駅! 果たしてその行方には一体どのような困難が待ち
受けているというのか? そして本当にさんまは目黒にかぎるのか? 目白だったりはしないのか? という
徹底的な検証を行いたいと思う所存です。お楽しみに!(あれっ今回オチねえな…)
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Q 虚舟先生に質問です。
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近代抒情詩の名作として広く愛誦された佐藤春夫の「秋刀魚の歌」は『目黒のさんま』に出てくる殿様の食
べたいものも食べられない、自分の置かれた悲しい立場を表現したものだと友人から教えられましたが、本
当でしょうか?(東京都 会社員 ホルモンM山)
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A あはれ 秋風よ 情〔こころ〕あらば伝へてよ―
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男ありて さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか。
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そが上に熱き涙をしたたらせて…(略) 佐藤春夫「秋刀魚の歌」より一部抜粋
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全く、その通りです。この作品は小説的詠嘆詩と呼ばれるもので、庶民的な匂いのする秋刀魚を主題にと
りあげ、天上人である殿様の生活を自嘲的に謳いあげた、春夫の代表作です。一説には谷崎潤一郎夫人
との悲恋を歌ったものだという識者もおりますが、何もわかっとらん輩だ。この時期、春夫は寄席通いをして
いたに違いない。詩人でもある私の説が正しいに決まっておる! これはまさに殿様の歌です。
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追伸 M山さん、友だちは選んだほうがいいですよ。…質問相手もね (^_^)v
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知ィィィらない街を歩いィィィてみィたァいィィ…
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みなさんこんにちは。「語隠―遠くへ行きたい」の時間です。JR山手線で新宿駅から12分。私は今もなお
武蔵野の面影を残す目黒にやって参りました。うーん、目黒ですねぇ、いかにも目黒だ、ははは。江戸時代
は上、中、下の目黒村でありました。私の調査によると中目黒二丁目と三田二丁目を分けるところに茶屋坂
という坂があり、その坂の上あたりがかつて将軍の鷹狩りの休憩所で、そこに「爺が茶屋」と呼ばれる茶屋
があって殿様が食べたさんまはそこで焼かれた可能性が高いと言われています。しかし、同じ目黒内に「爺
が茶屋」は二軒あるという説もあり、場所は2キロしか離れていないのだが、地名が目黒道玄坂と変ってしま
う。…道玄坂!ちょっと待てよ…。この説が正しいとなれば『渋谷のさんま』になってしまうではないか! こ
の真相は明らかにすべきものなのか! これはまさに、落語界のダビンチ・コードではあるまいか? 『渋谷
のさんま』、ああ、なんという軽薄なる響きだ。古典の趣も何もない。これじゃあ深夜のバラエティだ! もしこ
れを明らかにしてしまえば落語界は私を決して許しはしまい。生命の危険も顧みず、それでも神は私にこの
道を進めと言うのか? 仕方ない、行こう! それが私の宿命であるならば。 以下次号
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(私が目黒で不審な死を遂げた場合、付近に必ず手ぬぐいと扇子が落ちているはずです)
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"あの世にも 粋な年増が いるかしら"
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四伝会の理事の一人が亡くなった。先にあげた辞世の句はある噺家のものであって、その人のものでは
ない。けれども、彼に辞世の句があったとしたらこのようなものであったろう。
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彼は数年前地元に戻り家業を継いだ。根付の土地っ子がよく口にする"返り新参"というやつである。地元
における彼の地域活動は、誤解を恐れずに言えば、功成し名を上げようとする戦国の武将のようだった。
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彼が関わった地域発展を旨とするイベントに参加したことがつき合いの始まりである。私は彼の中学の後
輩にあたるのだが、それを理由に下に見られるという事は一度たりともなかった。上下関係に厳しい古くか
らの縦社会というものを決して悪し様には言わぬが、それが諸刃の剣であるという認識も共通していた。
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彼は気が弱く寂しがり屋であった。修羅場をくぐった数がいくら多くても、男とはそういうものである。口にす
る事は一度もなかったが味方の数だけ敵も多かったろうし、実際そういう生き方をしていた。私は生前の彼
を悪く言った人々に対し文句を言う気はさらさらない。ただ教えてもらいたいのである。彼が信じていた四谷
の可能性というものに過ちがあるならば、本当に我々がやらなければいけないことは何なのかということを。
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「おとっつァん、あの子はね男っぷりがいいから、粋な着物が似合うんですよ。結城に唐桟、そいから薩摩絣
も」
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「んな物ァお前の見計らいでいいんだよ。おい、なんだい、着物と一緒に山のように白装束なんか持ってき
て!」
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「癪に障るから、何もしないで文句ばかり言っていた人に着てもらうんですよ」
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「おい、つまらねぇこと言うんじゃねぇよ。よそに聞こいてみろ、腹ァ立てるぞ」
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「いいじゃありませんか。あたしはどうあっても着させますから」
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「そんな事ォしてどうすんだ」
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「あの子は最後まで頑張ったんですもの、冥土に礼にやりましょう」
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四谷伝統芸能振興会 理事
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立川吉彦
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享年 四十五
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初めて訪れた目黒は一面の焦土と化していた。ハイセンスな都会色と武蔵野の面影が融合するこの地は
今や紅蓮の炎と煙に包まれた地獄絵図さながらであった。いったいこの街に何が起こったというのか? 悲
鳴とも怒声とも聞こえる声が飛び交う…ま、まさか!ついに北の脅威が現実のものとなったのか! あっ!
あの看板は!
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「目黒のさんま祭り」 さんまだ。この常軌を逸したまでの焼魚の製造が、この街を炎と煙の戦場にしてしまっ
たのだ。
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それにしてもこの光景はどうだ、街中がさんまで埋もれている。さんまにあらずんば魚にあらずとばかりの
情念のこもった焼き手たち。そしてそのさんまに群がる群衆。まるで映像の魔術師フェデリコ・フェリーニの
作品のようではないか…。ああっマルチェロ・マストロヤンニがさんまに醤油をかけている…そんな馬鹿な…
どうしてアニタ・エクバーグが大根をおろしているのだ…いかん、この煙だ! この煙は「渋谷のさんま」説を
証明しようとするこの私を葬るための怨嗟の煙なのだ!
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ああ、焼き手たちが何かを唱えだした!
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「サンマーサンマー焼サンマ、殿さん食べたよ焼サンマ。
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情けあれば伝えてよ、熱き涙をしたらせて、さんま苦いか塩っぱいか。
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サンマは目黒、サンマは目黒、サンマは目黒。サンマ焼くぞ、サンマ焼くぞ、サンマ焼くぞ。目黒で焼くぞ、
目黒で焼くぞ、目黒で焼くぞ」
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この声を聞いてはいけない! 誰か、誰か! 誰か、助けてー!
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「もし、どうされました?」
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「こ、ここは?」
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「滝泉寺でございますが。目黒不動尊と言ったほうがおわかりかな」
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「目黒不動尊…そ、そうですか。どうやら暑さにやられたようで…」
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「今年の残暑は特に厳しゅうございますからな。少し日陰でお休みなさるといい」
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「そうさせていただきます。どうもご親切に」
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「よろしければ、これをお使いなされ」
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「…扇子と手ぬぐい…」
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「ではお大事に。…あ、そうそう一言申し上げてよろしいかな」
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「な、な、何でしょう」
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「さんまは目黒に限りますぞ」
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季節はずれの蝉しぐれがかろうじて私の意識を支えていた。
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(なに書いてんだか、まったく。来月は『金明竹』だよ〜ん。)
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神宿る 田毎の月に雲もなく 山の頂 吹く風ぞ君
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(訳)先月はいろいろ忙しかったもんだから今月は楽をしようと、ネタが豊富そうな金明竹を選んだものの、
ちっとも書けやしねえ。ああそうそう、真打昇進おめでとうございます。14日の本牧亭が皮切りですってね。
落ち着いたらうちでも打ちましょう、あんまりご飯食べ過ぎると 春は二重に巻いた帯 一重に巻いても足
りぬ秋 という逆みだれ髪になっちゃうよ。はっはっは
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三十一文字にずいぶん詰め込んだもんだな! まさに語隠だ!
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はぁーい、ここ、試験に出ますよ、いいですか?
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金明竹は中国から伝来した竹で名前の通り全体が明るい黄金色をしています。その中で特に有名なの
が、京都の宇治にある黄檗山万福寺(おうばくさん まんぷくじ)の庭にあります。黄檗山万福寺、いいです
か、「もうたくさんまんぷくじゃ」と覚えてください。1659年に中国、黄檗山で修業した隠元禅師が日本に帰化
をして同じ名前の寺を作ったわけです。ここまでいいですか? えーそして、その寺の二代目が木庵なんで
すね。ここ、大事なとこでーす。えー、この『金明竹』や『寿限無』のように早口でしゃべる噺を前座噺といいま
ーす。早口でしゃべってもはっきりわかるように口ならしをするわけでーす。これも、もともと江戸の噺なんで
すが、幕末の頃には上方でしかやらなくなり、ついには上方種という事になってしまいました。おそらく米朝
一門の陰謀です。私たちはこの上方『金明竹』拉致事件の事を決して忘れてはいけません。
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O田君、授業中はウクレレはしまいましょうね。
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さて、この前座噺といわれている『金明竹』ですが、前座噺にしては登場する人々も多く、人物描写までしっ
かりやろうとすると、決してやさしくはないでーす。しかもサゲは「蛙」と「買わず」の地口ですが、それ以外に
「ぶっつけ落」と「仕込み落」も兼ねている高度なものです。さらに、昭和の名人といわれた三遊亭円生が内
容の一部を自分のこだわりから変更しているんですね。さて、このことから、本来の『金明竹』には上中下が
あり、決して前座噺などではなく、『芝浜』『文七元結』『子別れ』等の大ネタに匹敵する事が容易に想像つくと
思います。
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キーンコーンカーンコーン
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ああ、もう時間ですね。では、この続きは来週。
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前回もそうなのだが、ネタが豊富だと逆に書きづらいもんですな。先週も快治勉強会、四谷大好き祭り歴
博亭と二日連続興行で、まったく書けやしねえ。しかしながら、私も戯作者としてのプライドがないわけでは
ない、たとえ我が身を犠牲にしても皆様を満足させるべきであることぐらい心得ている。
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というわけで。四伝会書き下ろし新作落語
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『会長への道』金明竹仕上げ
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「ともかく落ち着いて最初からゆっくり思い出してみろ!」
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「は、はい。えーまずですね、あの…余一…そう、余一です。余一会の取次ぎだって、確かそう言ってました」
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「そんな馬鹿な話があるかい?」
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「ええ、ええ、ですけどもあの…ゆ、遊史郎と、正蔵と、こ、好二郎が見どころだって、そ、そう言ってました」
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「どういう企画の顔付けなんだ、それは?」
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「ええ、で、その好二郎が渋いこしらえで、たがやさんを演るんです」
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「この時季に? 『たがや』はおかしいだろう」
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「ええ、ええ、だから気が違ってるみたいなんで、念のためお断りをしたそうなんです」
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「ふーん。それで代演は誰なんだ」
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「え、えーあの、あっ、王楽さん。王楽さんが『金明竹』を演るんです」
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「なるほど。で、色物とかはないのか」
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「え? えっとあの…交互に、に、にゃん子が、かわず…茶碗で…」
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「にゃん子が『蛙茶番』! それはないだろう」
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「ええ、えーですからね、あの、ふ、ふらぼう…あっあの、ブラ坊さんが掛け合いに行ったんです」
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「その人選もものすごいな! で、どこへ?」
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「ええ、あの、ですからあの…とても偉い人のところへ…」
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「だから、それはどこの誰なんだ!」
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「あの、じょ、上手…そう、上手なんです、落語が! あの、そう、落語が上手な坊主!」
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「落語が上手で坊主でとても偉い人…ああ、円歌さんか! 落語協会会長の」
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「いや、今はかえるでございます」
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何卒、落語界の目に留らぬようご協力のほど、お願い申し上げます。 m(__)m
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自ら世間を狭くする虚舟先生の原稿は、四伝会ホームページでしか読めません
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読者からのお便りです。
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「前回書き下ろしの新作落語は、オチもさることながら内容もどこが面白いのか、小生にはさっぱりわかりま
せんでした。読者の中には落語にあまり詳しくない人たちもいるはずです。誰にでもわかるコラムを書いて
頂けるよう猛省を促す所存です。」(東京都 教員 IP)
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むかぁーし、むかしのことじゃった。江戸にしかのぶざえもん、京につゆのごろべえ、大阪によねざわひこ
はちというたいそう面白い話をする人々がおったそうな。その者たちの話は最初は短いものじゃったがしだ
いに長くなり、おおぜいの人を笑わしておった。
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…こんな感じでよろしいんでしょうかぁ?
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『金明竹』における、名人円生の演出は、張交屏風のくだりで「沢庵、木庵、隠元禅師張交ぜの小屏風」と
いうところを「沢庵禅師の一行物、隠元、木庵、即非〔そくひ〕張交ぜの小屏風」に変えている。これは第一回
「授業中の巻」で先生が大事なところと念を押していたことを思い出していただきたい。つまり開祖である隠
元も二代目である木庵も、ともに中国僧で沢庵だけが日本僧であることから、この張交ぜは考えにくいとい
う古美術商からの意見に対し、自ら納得して改変したと言われている。バッグといえば、ヴィトン、エルメス、
一澤帆布というようなもので、決して間違いではないものの、違和感がないでもない。ちなみに新たに加えた
即非はやはり来日した中国僧の一人で、隠元、木庵と並び黄檗三僧と呼ばれた高僧であり、なるほどこの
方が自然だとうなづく人も多かろう。
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けれどもこれは円生のエピソードであるから"落語ちょっといい話"的なものになるわけで、話芸というのは
そのこだわりがすべてではないということも言っておきたい。
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ああ、いかん、いかん、また難しくなってしまった。
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あるおとのさまのところにしゃれの名人がやってきたそうな。
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「庭にいるカニにて何かしゃれを申してみよ」
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「ニワカニはしゃれられませぬ」
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「なんじゃ、このふとどきものめ。しゃれの名人とはいつわりか!」
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「おそれながら。庭とカニをあしらいまして、ニワカニとしゃれたのでございます」
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「これは余が悪かった。許せよ」
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「とんでもございません。おそれいります」
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「あっはっはっは、これもまた見事じゃ」
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とさ。
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………誰が読むか、こんなもん!
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作者からのお便りです。
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「協会ネタをふって遊んだ翌週に、師匠と一緒に来店されますと、ものすごく心臓に負担がかかりますのでお
気をつけください。
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三遊亭あし歌 様
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虚
舟 拝 」
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「あの人には道具七品ッてもんが預けてあるんだが、買ってかなあ?」
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「いいえ、買わずでございます」
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このやり取りの一部始終を軒の陰で聞いていた者がございます。
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「傘を借りた道具屋によもや加賀屋の手代がいるとはまさに盲亀の浮木優曇華の花。いけすかねえ公家の
注文は仲買の弥市の企てか」
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この男、名を左甚五郎利勝。日光東照宮の"眠り猫"を彫り、名人との呼び名も高き人でございますが、
少々人間がへそまがり。京の水が合わぬと客分で逗留していた加賀谷佐吉の店から逃げ出し江戸へとや
って参りましたが、今や一文無し。人のいい宿屋の親父のところに転がり込んでおりました。
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「あの宿屋の庭にも竹があったなぁ。ようし、江戸の竹を使って、京の道具屋と遠州の野郎の鼻でもあかして
やるか」
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気が向かなければ仕事をしない甚五郎が、宿屋の親父に恩返しで作ったこの花活がお殿様の目に留まり
騒動が持ち上がるという、お馴染みの『金明竹』の中程でございます。
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いやぁ『金明竹』という噺は甚五郎ものだったんですねぇ。細部までこだわって演じられたこの円生さんの
『金明竹』上中下のテープは大事にもっていたんですが、台所で酒の燗をつけていたところ、猫が咥えて持
っていってしまいました。誠に今をもって悔やまれる出来事です。
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さて、今回の『金明竹』も無事終わりました。来月はいよいよ廓噺初登場。私は吉原系は比較的得意分野
でございます(断っておくがあくまで江戸の、ですよ。江戸の!)
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やはり、初っ切りは『明烏』てぇことになりまさぁね。大層はやるお稲荷様にお詣りに連れてってもらおうじゃ
ねぇか。待ってろよ、源兵衛に太助! こちとら、町内の札付きの若旦那だ! 連れてかねぇと後が怖ええ
ぞ!
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